No. | 山ラン | 登山日 | 曜日 | 山名 | 標高 | 地図名 | 移動地 | 交信局 | 周波数 | 型式 | 名山関係 | コメント | |
1 | 85 | 6月 | 6日 | 木 |
不納山 |
1291 |
四万 |
みなかみ町 | 7K4NXB | 430 | FM | 不納山(1291m、四万)は四万温泉の譲葉地区の稲づつみ神社が登山口となる鳥居を潜ると、吸血ヤマビルの注意看板と10%食塩水が準備されていた。長靴とズボンのすそに噴霧して良く整備された登山道を登った。急斜面を九十九に続く道を行くと、待ってましたとばかりヤマビルが這い上がってきた。ズボンのすそを長靴の上に出し、ガムテープでしっかり固定していたので気にせずに這い上がる様を眺めていた(笑) 尾根筋に上がると勾配は緩やかとなり、ヤマビルも同時に姿を消した。登山道には所々にクマよけの鐘が下がり、水晶山を案内する立て看板が次々と現れた。ところが水晶山のピークが何処なのかはっきりしない。四等三角点のある967.4Pなのか、あるいはその先の986Pなのか、もしくは下山時に立ち寄った水晶山展望台(900m)なのか、このあたりが山ランで有効ポイントにならない理由かもしれない。986Pを過ぎてさらに高度を上げていくと膝丈ほどの笹原となり1221Pとなる。ここも堀沢山との名前があるようだが山ラン有効ポイントではない。この先は緩やかなアップダウンとなるが、膝丈の笹原が続いており朝露でズボンはびっしょりとなった。やっと辿り着いた山頂には三等三角点があるだけで山名版は無くテープが数本下がるだけの平坦なピークだった。下りは水晶山を確認しようと水晶山歩道を周回したが、水晶山と案内されたところは水晶山展望台と表記され、尾根筋の肩のような場所だった。登り1時間30分、下り1時間30分。 | |
2 | 86 | 20日 | 木 |
御嶽山 |
343 |
藤岡 | 神川町 | 7K4NXB | 430 | FM | 御嶽山(343m、藤岡)は金讃神社の境内を抜けると登山口間案内板がある。うっそうとした木立の中には詩を刻んだ石塔や石仏が並んだ石段が続いていた。暫く行くと特別天然記念物の鏡岩が左側に現れ、それを巻き上げるように上がると尾根筋となる。左手は展望台との案内があるが、構わず右手尾根筋を登るとほどなく急登となり一登りで山頂となった。往復30分。 | ||
3 | 87 | 横隈山 |
594 |
鬼石 | 神川町 | JG1BMN | 430 | FM | 横隈山(594m、鬼石)は地形図を見ると山頂近くまで車道が入っている。半信半疑でその道を行くと、山頂尾根筋の西側の鞍部のところに防火水槽があり、周囲は駐車余地となっていた。薄い踏み跡を見つけ取り付くと直ぐに尾根筋となり、しっかりした踏み跡が続いていた。そしてあっという間に山頂となった。往復12分。 | ||||
4 | 88 | 神山 |
732 |
鬼石 | 神川町 | JF1PSH | 430 | FM | 神山(732m、鬼石)は一帯が城峯公園となっており、城峯神社から登山道が続いていた。登山道はしっかり整備され、100mおきに神社からの距離ポストが設置されていた。400mポストの先で一旦林道に出るが直ぐに尾根筋となり、800mポストでちょうど山頂となった。往復40分。 | ||||
5 | 89 | 塚山 |
954 |
万場 | 秩父市 | 7N2XYS | 430 | FM | 塚山(954m、万場)へは古指から伸びる林道を行くが、林道は荒れ放題となり、倒木のため先へは進めずクルマをどうにか方向転換し停めた。植林地の中の林道をクネクネ行くと最後のコーナーのところから山道が分岐していた。地形図を見ると尾根筋に向かっているようであり躊躇せず踏み入れた。はっきりした道型が続き、ほどなく切通しとなったので尾根筋に取り付いた。その後は忠実に尾根筋を登り、875P先で一旦下げ緩やかに上り返すと山頂となった。ちなみにこの山は群馬県境にある。登り1時間、下り50分。 |
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No. | 山ラン | 登山日 | 曜日 | 山名 | 標高 | 地図名 | 移動地 | 交信局 | 周波数 | 型式 | 名山関係 | コメント | |
1 | 75 | 5月 | 2日 | 木 |
保戸野山 |
1090 |
四万 |
みなかみ町 | 7N2XYS | 430 | FM | 保戸野山(1090m、四万)は山頂近くに送電線が通っている。ならば巡視路を辿ろうと合瀬大橋を渡り林道を詰めた。林道終点近くに沢に渡された足場用パイプで作られた橋が架けられ、鉄塔巡視路の黄色い標柱が建っていた。沢を渡ると直ぐに急斜面となる。鉄塔巡視路のはずであるが、ほとんど整備はされていないザレた斜面に九十九の踏み跡が続いていた。滑る足元を慎重にステップすると頭上に送電線が見え出し鉄塔となった。北に三国山が飛び込んできた。あとは尾根筋を登り上げると保戸野山となった。三角点標柱と4枚の山名板が下がっていたが視界はほとんどない。下山は往路をピストンした。往復1時間1分。 | |
2 | 76 | 雨見山 |
1347 |
四万 |
みなかみ町 | JI1DVS | 430 | FM | 雨見山(1347m、四万)へは保戸野山から林道を南下し、南尾根から取り付くことにした。峠手前から取り付くと直ぐに廃林道(防火帯?)になり、1231P北側の鞍部となる。尾根筋は緩やかで幅広の膝丈〜腰丈の笹原となっている。一旦下り前方の小ピークを右にトラバースすると山頂手前の鞍部となる。相変わらずの熊笹薮が続き、高いところでは胸位まである。薮を掻き分けながら上がると笹原の山頂となった。三角点標石近くの立ち木にすかいさん製の山名板が下がっていた。往復46分。 | ||||
3 | 77 | 高田山 |
1212 |
中之条 |
中之条町 | 7M1PGX | 430 | FM | 高田山(1212m、中之条)へは駒岩から登るのが一般的なようだが、ここは最短コースのわらび峠からとし、石尊山と併せてピストンすることにした。わらび峠の登山口を入ると、ほどなく勾配は増し急な尾根筋となった。ザレた斜面で滑りやすいので結構を気を使う上りが続き、いくつかの枝尾根と合わせるごとに高度上げていく感じである。登り上げた山頂には三角点標石と郵便受けがあり、写真で見た立派な山名標柱は朽ち果てて倒れていた。登山口から38分。 石尊山(1049m、中之条)へはそのまま尾根筋を東へ進むのだが様相は一変した。地形図に現れない小さな岩稜ピークの連続なのである。とても手掛かりなしには登り降りできないような岩場もあったりする結構スリリングなコースである。登り付いた山頂には石の祠があり、絶景ポイントとなっていた。榛名山、子持山、その奥には赤城山、眼下には中之条町が広がっていた。高田山から54分でピストン。わらび峠からは往復2時間。 |
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4 | 78 | 石尊山 |
1049 |
中之条 |
中之条町 |
JKIGGD | 430 | FM | |||||
5 | 79 | 3日 | 金 |
八海山 |
1811 |
尾瀬ヶ原 |
片品村 | JM1GYM | 430 | FM | 八海山(1811m、尾瀬ヶ原)は尾瀬ヶ原の湿原の先にあり、残雪のこの時期に登るのが最適である。去年の同じ時期に尾瀬ヶ原を大周回したが、今年の方が雪が多い。何よりも昨夜降った雪で鳩待峠から山ノ鼻まではトレースが薄く、ルーファンに手古摺った。山ノ鼻には5張りのテントがあったが、まだ人影はなく熊鈴を押さえながら足早に通過した。湿原に出ると目の前に八海山が見えてきたが、ここでコース取りに迷った。一つは北西へ向かい1735Pを経由する尾根筋から、もう一つは北東へ向かい山頂南尾根に取り付くコースである。ようは猫又川を如何に越えるかがポイントとなるのだが、足は最短の後者を選んでいた。しばらくは夏道に一致したトレースをヨッピ橋方向に進み、トレースを外れ尾根筋に直行するため雪原に足を踏み入れた。20cm程度の踏み込むが問題なく歩ける。あとは猫又川(ヨッピ川?)の渡渉だったが、これも両岸からの倒木を使って難なく越えることができた。その後は小さな沢を越えいよいよ尾根筋絵の取り付きである。見た目には大した傾斜ではないが、新雪が乗った斜面は登り難く一歩一歩を刻むような登りになった。どうにか100m余りを上げると傾斜は幾分ゆるくなったが、その分積雪が増し踏み込みが深くなるのでペースは上がらない。歩き続ければいつかは登り切れると一歩ずつ踏み出し、取り付いてから2時間でやっと山頂となった。文字の消え落ちそうな青い山名板が下がっていたが、小雪舞う生憎の天候で尾瀬ヶ原がやっと見える程度だった。下山はトレースを忠実に辿った。鳩待峠から3時間30分、下山は2時間30分。 | ||
6 | 80 | 9日 | 木 |
松岩山 |
1512 |
小雨 |
中之条町 | JA1JCA | 430 | FM | 松岩山(1512m、小雨)への登山口を探すために世立地区に入るが、道が入り組んでいて分かりにくい。適当に東進すると分岐地点に松岩山登山口への案内標柱に出くわした。暫し行くと今度は立派な看板が現れ、案内に従って左上方に進む。道路は途端に悪路と化し、一般車ではとても進入は出来ない車幅ギリギリの道となった。そうとなれば仕方ない。とてもバックは出来ないし行けるとこまでと構わず進入を続けた。ちょうど1.5kmを行くとマタギ平となり峠の三叉路となった。どうにか停められるところを見つけ、無理やり駐車し登山道に入った。登山道は2m幅ぐらいに笹原が刈り払われていた。ほぼ1km位行くと勾配がきつくなり九十九の登りとなる。その登り上げたところには天狗岩入口との標柱が建ち、尾根筋となった。あとは山頂直下の急勾配を登りきると広い山頂となる。行政の山名標柱の他に3枚の板が下がっていた。南側に開け、西側には草津白根が近くに見えた。登り45分、下り32分。 | ||
7 | 81 | 石ドヤ山 |
1503 |
野反湖 |
中之条町 | 7K4NXB | 430 | FM | 石ドヤ山(1503m、野反湖)は地形図には掲載がなく山名辞典に掲載のある山で、ほとんどネット上に情報はない。となれば薮漕ぎは必至で、長い林道を歩きながらも既に気持ちは薮漕ぎ体制である。林道は良く整備されており、5km地点で分岐となった。地形図を頼りに取り付き地点を探しながら行くと、分岐からほどなくピンクテープと踏み跡を見つけた。薮もなく最適の地点と判断し足を踏み入れた。カラマツ林と雑木林の境界を緩やかな傾斜で行くと、ほどなく笹薮が現れてくる。辺りを見回しながら藪の無いところを拾うようにいくが、傾斜が急になるにつれ笹薮の密度は増してくる。あっという間に背丈を越す笹薮となり、両手両足を駆使しながらひたすら漕ぎ続けた。流石に背丈を越える笹薮はそうは続かなかったが、膝〜腰丈の笹薮は山頂まで続き登り上げた時は両足は痙攣していた。金属製の山名板が高い位置で幹に吸い込まれているのを見つけけることが出来たが他には何にもない。ただ山頂東側を野反湖南側の弁天山から南下する登山道が通過し、見事なまでに刈り払われていた。林道ゲートから1時間51分、林道から取り付いて56分。 巻石山(1319m、野反湖)は石ドヤ山の南西に位置し尾根筋を下った肩のようなピークで、今回のコース取りでは下り勾配となる。下りならば多少の藪も大したことないだろうと最短尾根筋に乗ったが、笹薮は途切れることなく続いていた。林道を少し戻ると、廃道化した林道が巻石山方向へ続いていた。ここも相変わらずの笹薮だが、刈り払われた痕跡を追うように先へ歩いた。GPSが示すピーク付近まで来るも、ほぼフラットで目印は見当たらない。三角点もあるようだが笹薮の中なのだろうか、探しもせず下山に取り掛かった。そのまま林道まで適当に下り、ゲートに戻った。行動時間計4時間18分。 |
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8 | 82 | 巻石山 |
1319 |
野反湖 |
中之条町 |
JA1LZV | 430 | FM | |||||
9 | 83 | 16日 | 木 | 日崎山 |
1397 |
藤原湖 |
みなかみ町 | 7N2XYS | 430 | FM | 日崎山(1397m、藤原湖)の山頂には電波反射板がありダムサイトからも望むことができる。登りゆく尾根筋も確認できるが、斜面にわずかに雪が残るだけだ。湖へのボートの出入り管理している係員に山へ入ると告げた後に、ダムサイトを東に向かうと進入禁止のゲートとなった。ここを通らず斜面には取り付けずゲート横を抜け、擁壁にかかる青い梯子に取り付いた。何か言われるのだろうかとハラハラしながら上り、次の梯子をつないで急斜面を攀じ登った。20分ほどで981Pとなると、右手からビンズル沢の水音が聞こえ出した。この先はただひたすら尾根筋を追うのであるが、シャクナゲ、背丈を超えるネマガリタケ、アスナロの幼木の混合藪が交互に続いた。残雪が見え出したのは1300級ピークの手前の斜面からであったが、とても拾えるほどではなくピーク手前の1360Pまで藪漕ぎとなった。この先は尾根筋に残雪がちらほらとあり、ピーク手前でやっと雪稜歩きとなった。山頂の電波反射板にはすかいさん製の山名板と4日前の日付が入ったフジオカTK氏のフィーダー紐が縛り付けられていた。登り3時間半、下り2時間半、計6時間の藪歩きであった。 | ||
10 | 84 | 高根山 |
527 |
後閑 |
沼田市 | 7K4NXB | 430 | FM | 高根山(527m、後閑)はピークのみならず山そのものが既になく住宅地と化していた。GPSの示すピーク位置には洒落たゴミステーションが置いてあった。 |
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No. | 山ラン | 登山日 | 曜日 | 山名 | 標高 | 地図名 | 移動地 | 交信局 | 周波数 | 型式 | 名山関係 | コメント | |
1 | 63 | 4月 | 4日 | 木 |
高桧山 |
1315 |
藤原湖 |
みなかみ町 |
JR1BEI | 430 | FM | 高檜山(1315m、藤原湖)へ向かう林道は小さな崩落があるが歩くには支障はなく、林道終点間近にピンクリボンと尾根筋に上がる踏み跡を見つけた。杉の植林地を尾根筋を目指して直登すると残雪の窪地となり右側に顕著な尾根筋が見えた。上りあげた尾根筋は緩やかな勾配で灌木類は刈り払われていた。勾配が増してからもしばらく刈り払いは続いていたが1150辺りで刈り払いは終わり、アスナロの幼木藪となってきた。残雪を繋いだりしながら藪を避けつつ上ったが勾配がきつい上に踏み抜きも多くペースは落ちる。右からの尾根と合わせると、板沢山から続く尾根筋も東側に見えてきた。ここからはほぼ残雪歩きとなるが、腐った雪に難儀しながらようやく山頂を踏んだ。南東方向に一部開けているだけで、武尊山も木立に隠されていた。下山は往路をピストンした。登り1時間46分、下り1時間。 | |
2 | 64 | 7日 | 日 |
大久保山 |
112 |
本庄 | 本庄市 |
7N2XYS | 430 | FM | 大久保山(112m、本庄)の一角には早稲田大学本庄キャンパスがあるので、目立たぬよう三角点に近い北西部から取り付くことにした。斜面を上がると尾根筋の広い散策路となり、三角点標柱を確認後に南西部に散策路を往復した。ちょうど真ん中付近あったベンチの背もたれに山名板が下がっており、そこには105mと三角点の標高が記されていた。 | ||
3 | 65 | 諏訪山 |
113 |
本庄 | 7K4NXB | 430 | FM | 諏訪山(113m、本庄)は岡部チサンCC美里コースの北側にあり、北西部から破線が伸びている。その破線の場所に行くと立派な鳥居の先に石段の参道が続いていた。登り付いた先は河輪神社の境内で、立派な拝殿や神楽殿が建っていた。 | |||||
4 | 66 | 山崎山 |
117 |
本庄 | JL1WVA | 430 | FM | 山崎山(117m、本庄)は岡部チサンCC岡部コースのクラブハウス近くにあり、ゴルフ場開発に際し山頂部は削り取られていた。駐車場よりGPSの示す山頂近くまで行き、写真を撮ると面倒になる前に足早にその場を離れた。 | |||||
5 | 67 | 仙元山 |
98 |
深谷 | 深谷市 |
8J1TK | 430 | FM | 仙元山(98m、深谷)は仙元山公園の中にある浅間神社の位置が山頂部で、最短距離を行き境内内を一周して下山した。 | ||||
6 | 68 | 宝登山 |
497 |
鬼石 | 長瀞町 |
JP1IXV | 430 | FM | 宝登山(497m、鬼石)は長瀞町にある桜の名所で、参道は桜見物の人で賑わっていた。下から登ろうと思ったが駐車場は有料だし、他はないかと地形図を見ると北側に車道を見つけた。ダメ元で行ってみると尾根筋に上がる登山口を見つけた。しっかりとした登山道で、勾配が増すと階段が作られていた。山頂は秩父市街地を見下ろす絶景ポイントとなったいた。往復26分。 | ||||
7 | 69 | 男岳 |
540 |
鬼石 | 皆野町 |
JI1DIK | 430 | FM | 女岳(631m、鬼石)と男岳(540m、鬼石)は砂岩採石場となっており、その山頂部は削り取られ既に無い。それでも山ランの有効ポイントではあるので南側の車道を詰め、採石場の隣地となる植林地から確認してきた。車道に続いて破線が入っているが、それに沿う形で沢筋を上がり、なるべく急勾配を避けるように杉の植林地から採石場のトップまで上がった。あとはGPSの示す山頂位置を確認し足早にピストンした。往復50分。 | ||||
8 | 70 | 女岳 |
631 |
鬼石 | 皆野町 |
7K3QUX | 430 | FM | |||||
9 | 71 | 11日 | 木 |
大行山 |
1780 |
至仏山 |
片品村 |
7N2XYS | 430 | FM | 大行山(1780m、至仏山)へは大カッパ沢左岸尾根を辿る予定だったので、1428Pを目指して急斜面を直登した。昨夜の新雪が乗ってはいるが、ピッケルで締まった雪面を探りながらスパ長ツボ脚で攀じ登った。尾根上となると少しは勾配が緩むが、暫くは狭い尾根筋の急登が続いた。さらに頻繁に踏み抜くようになりワカンを履くと、踏み抜きのストレスからは幾分解放されたが、勾配がきつい分歩きにくい。そうこうしてるうちに次第に尾根筋が広くなり、勾配は緩やかとなってきた。1600過ぎからは少しずつ方向をピーク方向に向けるように登り、1752Pとの鞍部まで来るとさらに勾配は緩みほどなく山頂となった。山頂は立ち木の中だが、その手前からは日光白根山〜皇海山〜袈裟丸山の山並みが東側に見えていた。また北側には燧ケ岳が頭を覗かせていた。山名板には1772mと記されていたが、これはこの先にある三角点標柱の位置の標高で、正確には1780mが正しいようだ。下りはトレースを忠実に辿った。登り1時間32分、下り30分。 | ||
9 | 72 | 25日 | 木 | 桧高山 |
1932 |
燧ヶ岳 |
片品村 |
JA1LZV | 430 | FM | 桧高山(1932m、燧ヶ岳)へは大清水から林道を入るが、直ぐに雪が現れてくる。三平橋を渡りナメ沢沿いを登る辺りから雪は増え出し、完全に木道は隠れていた。ほどなく這い林道を横切り急斜面を九十九に上がると尾根筋となる。ここまで来ると空は白みだし、左手には朝日をあびた燧ヶ岳が輝きだしている。この後はテープを追うように進むと三平峠となり、一気に100m近く高度を下げ尾瀬沼山荘となった。ここからは湖畔のトレースを追い長蔵小屋まで行き、奥の国民宿舎尾瀬沼ヒュッテの前を抜け尾根筋に取り付いた。長蔵小屋まではいくつかあったトレースも消え、この先は孤高の直登となった。とりあえず北側の鞍部を目指して登ったが、5日前の新雪が残雪に乗りステップが確保しにくい。それでもどうにか鞍部近くまで行くと右手に山頂尾根筋が見えてきたので、がむしゃらに直登した。新雪は次第に深くなり、きつくなった勾配とともに体力を削り、膝に両手を置く間隔が狭くなってくる。やっとのことで登り上げた桧高山からは南側の展望があり、日光白根山の冠雪したピークがランドマークとなっていた。大清水から3時間35分、かなり消耗してるので赤安山まで辿り着くのか不安となる。無線が中々繋がらず20分を費やすが、これがいい休憩となる。 袴腰山(2042m、三平峠)へは小淵沢田代に向けて北側の鞍部付近から直線的に歩いた。ここで方向を東に少しづつ戻しつつ行くのだが、ほぼ平坦な雪原な上に目指す袴腰山が際立ったピークではないので視認することも出来ず中々方向が定まらない。ほどなく只見幹線の送電線を通過するが暫く平坦地は続いた。20cm近く沈み込むツボ足は脹脛に応えペースが落ちてくる。勾配は緩いのに足元だけが重くワカンを装着してみることにした。すると沈み込みが半分程度になり、足を持ち上げる負担が減るためだろうかペースは回復した。北側の尾根筋に乗り一気に山頂を踏むと、雪面ギリギリ顔を出したテプラ山名板が迎えてくれた。ここからのやっぱり栃木県境の山並みが目が行く。これから目指す赤安山の右手奥に見覚えのある黒岩山、孫兵衛山は見えないがその左に帝釈山、反対に目をやると鬼怒沼山や根名草山、日光白根山 赤安山(2051m、三平峠)へは袴腰山北側の肩から続く尾根筋への急勾配の下りを前にして一瞬躊躇してしまった。戻りの登り返しが気になったのだが、まだ10時前だし時間的には十分に余裕があると思った瞬間、一気に駆け下りていた。あとは軽いアップダウンの尾根筋を進み、中程の鞍部から登り返すのだが最初の枝尾根との出合いまでがきつかった。その先もそれなりの傾斜ではあるが山頂が近いと足は軽くなる。山名版や三角点は雪の何も人工物は見当たらない。袴腰山から1時間35分。 戻りはトレースを忠実に辿り、袴腰山北側肩への登り返しも思ったほどではなく順調に歩けた。送電線でトレースを離れ小淵沢の東側の破線を辿り奥鬼怒林道にショートカットするように歩いたが、途中1765P手前で尾根筋を一つ間違えて登り返すヘマをやってしまった。読図力の未熟さを露呈してしまった(-_-;) 下山は赤安山から4時間4分で、行動時間は計12時間22分であった。 |
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10 | 73 | 袴腰山 |
2042 |
三平峠 |
片品村 |
JF1SHZ | 430 | FM | |||||
11 | 74 | 赤安山 |
2051 |
三平峠 |
片品村 |
7K4NXB | 430 | FM |
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No. | 山ラン | 登山日 | 曜日 | 山名 | 標高 | 地図名 | 移動地 | 交信局 | 周波数 | 型式 | 名山関係 | コメント | |
1 | 46 | 3月 | 3日 | 日 | 荒山 | 1572 | 赤城山 | 前橋市 | 7K4NXB | 430 | FM | 荒山(1572m、赤城山)へはまず荒山と鍋割山の鞍部に当たる荒山高原へ上がり、尾根筋を辿ることになる。足元は例によってスパ長なのだが酷使しすぎてスパイクが脱落しているためアイスバーン化してるところでは結構滑る。そろそろ換え時が来たようだw それでも冷え込み雪も締まっているので踏み抜きは皆無で快適そのものだ。荒山高原から灌木の間を縫うように登ると、次第に尾根筋がはっきりしてきて雪庇が出てくる。雪庇の上を暫く行くと最後の登りとなる。ロープの下がる急登もあるが、凍り付いたロープを掴む気もせず強引に登りきると山頂となった。時折突風が雪を舞い上げ、長居は無用と早々に下山を始めた。登山口から1時間25分。 鍋割山(1332m、赤城山)は荒山高原から反対側の尾根筋の突端にあるピークで、快適な尾根筋歩きとなるのであまり登るといった感じがない。ただし反対側からは等高線が混んでいるのでかなりの勾配なのだろう。なんといっても素晴らしいのは絶景である。伊勢崎〜前橋の街並みの向こうには富士山、八ヶ岳、浅間山、北に目をやれば谷川岳や武尊山と広がっていた。荒山から59分、下山は40分。休憩を入れて3時間半でピストンした。 |
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2 | 47 | 鍋割山 | 1332 | 赤城山 | 前橋市 | 7N2XYS | 430 | FM | |||||
3 | 48 | 7日 | 木 | 栂ノ頭 | 1564 | 四万 | 中之条町 | 7K4NXB | 430 | FM | 栂ノ頭(1564m、四万)へは奥四万トンネル入り口前の摩耶ノ滝入口を入ることになる。沢沿いの遊歩道には雪が残ってるが、道型がはっきりしているので迷うことはない。ほどなく摩耶ノ滝への分岐となり、それを右手に分けると直ぐに右手から斜面に目が行ってしまった。しばし足を止め地形図とのニラメッコである。最初の5,60mさえ頑張ればその先は勾配が緩み、山頂に続く南尾根の1287P手前の小ピークに乗れそうにみえ、その先も尾根は通って見える。そういうイメージが湧き出すともう足は斜面に取り付いていた。急斜面を這い上がりだすと、そこには躊躇はなくただひたすらに登った。案の定50m余りで顕著な尾根筋となり1000m手前くらいから雪が続くようになってきたのでスノーシューに切り替えた。雪も締まっているので快適だ。尾根に上がる手前の急傾斜でアイゼンに取り換え、登り付いた尾根筋もそのまま歩いた。尾根筋は地形図の通り狭く、シャクナゲやツツジ類の灌木に雪が乗ってる状態である。ところが1287Pで一休みにザックを下すとサイドに差しておいたストックが一本無いのである。10分ぐらい前に灌木の間を抜けるときにひっかけた時だと探しに戻るとその場に落ちていた。見つかったから良いものの30分のロスである。この先もしばらくアイゼンで歩いたが次第に踏み抜きが多くなり鞍部付近で再びスノーシューに履き替えた。両手ストックのスポット式の手持ちライトは視界が定まらず、足元はほとんどブラインドでの歩きとなった。その中で最難関だったのは1268Pからの尾根筋と合流する手前の急傾斜だった。ストックを持つ両手をグーのままで雪に差し込み、スノーシューを雪面に打ち込んで攀じ登るように上がった。なんと尾根筋に上がると幾筋かのトレースがあるではないか。908P地点からのトレースであることはすぐに理解でき、自分のルート選択のミスに気付いたのだった。それからはトレースを追い山頂となったが、そこはただ立ち木に巻かれたテープに栂ノ頭と書いてあるだけの平らなピークだった。登山口から5時間2分後を費やした。 コシキノ頭(1610m、四万)はピラミダスな頂で、この一帯ではランドマーク的な山である。けれどそれはピークだけのことで、栂ノ頭からはほぼ平坦な広い雪原が続いていた。ちょうど中ほどの1537P近くまで来ると空の主役は月から太陽へと換わり手持ちライトから解放された。それとともにややペースを上げ、コシキノ頭の手前まで来ると鞍部では、すでに雪庇は崩落しその断面を見せていた。残った雪庇を遠巻きに行くといよいよ最後の急勾配である。先行者が手こずったであろう荒れた雪面が、その下の笹と一緒に凍り付き足掛かりとなってくれたので、スノーシューのまま難なくピークとなった。比較的新しい黄色い山名板が下がっていて、よく来たなという感じで迎えてくれた。栂ノ頭から1時間12分。 スルスノ頭(1721m、野反湖)へは1644Pから尾根筋を北上することになるが、コシキノ頭を西側へ下ることが頭にあり白紙だった。どう見ても急斜面であり、先行していたトレースもここで途切れていたが、少し北側に回り込むように下ると以外にもスノーシューのままでも降りることができた。しばらくは緩やかな登りとなり少しばかり勾配を増すとスルスノ頭への分岐となる1644Pとなった。この時点で7時を過ぎており、これまでのペースだとかなりきついと感じたが、9時を到達のタイムリミットとして向かうことにした。無垢の雪原を自分のトレースだけを残して歩くのはとても気分のいいものである。もちろんアップダウンはあるものの、比較的苦労するであると思われたピーク手前の100m余りの高度差も難なくこなした。ただ後ろを振り返るとコシキノ頭は小さなランドマークと化してしまっていた。こんな時いつも決まって思うのは「どうしてこんな遊びに取りつかれてしまったのだろう」なのである。直線で残り300m、東側に張り出した雪庇に注意しながら左巻くように緩やかに上るとスルスノ頭となった。青いM大のプレートだろうか、錆びついてペイントは落ちる寸前でかろうじてスルスと読めるだけだった。木立の間からは西側に上ノ間山〜忠次郎山の山並みを、北東方向には谷川連峰を見ることができた。1644Pから1時間30分。1644Pへの戻りは1時間18分。 木戸山(1732m、野反湖)へは1644Pへピストンし軽快な歩きは続いたが、1611P先の大きな斜面を持つピークへの登りあたりから次第に足が重くなり始めてきた。原因はもちろん疲労であるが、それに輪をかけて来るのが気温の上昇で腐りだした雪でスノーシューを余計重くしてくる。大きなピークは左へ巻きどうにかクリアしたが、1742P手前の大きく口を開けた雪庇を避けながらの登りはきつく踏み抜くことも多くなり、膝でステップを切りそこにスノーシューを乗せるように上がった。ただ苦労して上りあげた先の景色は最高で本日一の眺めとなった。登り来た尾根々々の先に仙ノ倉山〜谷川連峰、さらに北には白砂山〜上ノ間山の山並みが広がっていた。ここからは広い尾根を下り、幾分きつい斜面を登り返し南から西側へ巻くように緩やかに行くと山頂となった。ここではすかいさん製の山名板が迎えてくれた。1644Pから2時間10分。 新行山(1171m、四万)へは長い尾根筋をただひたすら下るだけなのだが、ここが一番堪えた。もちろん登り返しも一部はあるが、腐った雪面の下りはとにかく神経を使う。高度を下げるにしたがって、腐りはどんどん醜くなりスノーシューに纏わりついてくる。ツボ足だと踏み抜きの連続となり歩くところではないことは目に見えているので辛抱して下った。ただそれでも参るのは両足ごと踏み抜くときで、こんな時は来たことを後悔する瞬間でもある。それなのにやっとのこと辿り着いた新行山には何もない。ある筈の三角点標柱も雪の下で、ただ何の変哲もない小さな盛り上がりをデジカメに納め早々に下山した。木戸山から2時間5分。 下山ルートはテープの下がる南とし、900付近でスノーシューを外し早足で下った。結局降り立った先は新湯川で、靴のまま強引に渡渉した。車道へ出てからの車への戻りはトンネルを2つ抜けるもので足取りは重く、16時40分にへとへととなり辿り着いた。新行山から1時間34分。計16時間53分の山行は幕を閉じた。この後、四万温泉・清流の湯と中之条駅近くのラーメン屋さんで疲れと空腹をいつものように癒した。が、結局家までは戻り切れず、高速のPAで10時間近く爆睡することになり、目が覚めたのは次の日の朝5時だった。 |
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4 | 49 | コシキノ頭 | 1610 | 四万 | 中之条町 | JR1PDK | 430 | FM | |||||
5 | 50 | スルスノ頭 | 1721 | 野反湖 | 中之条町 | JH1LEQ | 430 | FM | |||||
6 | 51 | 木戸山 | 1732 | 野反湖 | 中之条町 | JH1MDA | 430 | FM | |||||
7 | 52 | 新行山 | 1171 | 四万 | 中之条町 | 7N2XYS | 430 | FM | |||||
8 | 53 | 10日 | 日 | 鞍掛山 | 590 | 皆野 | 秩父市 | 7N2XYS | 430 | FM | 鞍掛山(590m、皆野)へは南側の頼母沢地区から取り付いた。登山口は秩父霊場第34番水潜寺への案内が立っている。ジグザグの道を行くと白梅やピンクの桃が咲き誇っていた。ほどなく山道は水平道となり20分余りで札立峠となる。ここからもしっかりした踏み跡が続き、如金さまを過ぎると鞍掛山となる。単なる通過点といった感じだ。 大前山(653m、皆野)へは、痩せ尾根やクサリの下がる岩場を通過するのでちょっとばかりスリリングだ。ピークは平坦な尾根筋の西端にあり、その先には頸の取れた石仏が祀られている。 天狗山(650m、皆野)はすぐ隣のピークで50mほどを登り返すことになる。山頂には大きめの石祠が建っていた。 小峰山(629m、皆野)へはピークを一つ越えていくが、山頂手前の鞍部から南側の巻き道に引っ張られてしまった。気付いた時には結構来ていたので反対側の尾根筋から山頂を踏んだ。三角点標柱とフジオカTKの青い山名板が下がっていた。戻りは往路をピストンした。計2時間30分。 |
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9 | 54 | 大前山 | 653 | 皆野 | 秩父市 | 7M4FIC | 430 | FM | |||||
10 | 55 | 天狗山 | 650 | 皆野 | 秩父市 | JL1FDI | 430 | FM | |||||
11 | 56 | 小峰山 | 629 | 皆野 | 秩父市 | 7L3PXN | 430 | FM | |||||
12 | 57 | 金岳 | 511 | 皆野 | 秩父市 | 7K4NXB | 430 | FM | 金岳(511m、皆野)へは阿熊川沿いに行くと横田倉から室久保まで車道が通じている。最深部近くまで進むと粟野への道標が立っており、直ぐ前の余地にクルマを置き山道へ入った。民家の裏を抜け、ゆず畑を上ると山腹に沿うように峠に向かって続いていた。峠からは尾根筋に乗って南下するが、直ぐに大きな岩稜となり行く手を塞いでいた。東側を巻き上げて551Pからさらに南下すると再び大きな岩稜となる。ここも東側の急斜面を慎重に巻きながらやっとのことで511Pの手前まで辿り着いた。ところがこの先は急勾配の下りで、その先も急傾斜が続いていた。命を懸けていく場所でもなく早々に撤退を決めてピストンした。往復2時間10分。 | ||||
13 | 58 | 21日 | 木 | ヨシガ沢山 | 1117 | 水上 | みなかみ町 | 7M1IYK | 430 | FM | ヨシガ沢山(1117m、水上)へは南の仏岩より登るのが一般的なのかもしれないが、周回を考えて西側の尾根筋を上ることとし鉄塔巡視路を辿ることにした。巡視路の案内標柱を入り九十九道を上がると17号鉄塔となり尾根に乗った。途端に頭上で吹いていた風が横から吹き出し雪が顔に当たりだした。送電線の通る尾根筋はすべて伐採され、風がまともに当たる。谷川岳の雪上訓練で教わった耐風姿勢を確認しながら、残雪の続く尾根筋を上がった。3本目の鉄塔は尾根筋を外れているので巡視路はトラバース路となる。そこで巡視路を離れ尾根筋を直登した。勾配はさほどではないが、相変わらず風は強く横殴りの雪となって体を揺さぶってくるので、立ち木を支えに風がおさまるのを待つ。それでも歩を進めるとほどなく樹木の無いドーム状の山頂となった。周囲を見回すも表示物らしきものは確認できなかった。鉄塔巡視路入口から1時間8分。 鍋クウシ山(1314m、水上)へ向かい少し下ると鉄塔巡視路と出会い鞍部となったが、風は益々強くなり間断なく吹き付けるようになった。とりあえず時間はたっぷりあるので岩陰に入り様子を見ることにした。30分ほどたつと今までが嘘だったかのように突然無風となり、これを幸いに再び歩き出した。尾根筋は比較的広く勾配も緩いので、ヘッ電に照らし出される5m半径位の範囲の中で硬そうな雪面を選びながらスパ長で登った。それでもいきなり踏み抜くとダメージは大きく、踏み出す一歩にストレスを感じるようになりワカンを履いた。これで踏み抜きは極端に減り、GPSの示す鍋クウシ山の山頂となった。とてもピークとは言い難いような場所で表示物はテープがいくつかあるだけだった。ヨシガ沢山から1時間10分。 三岩山(1568m、水上)へ向かうが、左からの尾根と合流した直後から様子が一変してきた。尾根筋は次第に細くなり、その分雪庇が現れてきた。いつの間にか風も強くなり、横殴りの雪が正に雪庇を作り出しているところだった。クラックは新雪で隠れ、自分のトレースも歩いてる先から埋まっていく。シャクナゲなどの灌木帯の痩せ尾根を、時には雪庇の上を時には灌木を分けながらひたすら歩いた。ところが三岩山手前の鞍部へ下り始めるところで行き先を見失った。急勾配で降りられないのである。ヘッ電では明かりが届かず、手持ちのスポットライトを取り出し先を照らそうとするが、横殴りの雪の先には暗闇しかない。途方に暮れて、再び岩陰に身を入れた。背中からはとてつもない風が背負ったリュック越しに吹き付けている。30分近くその場に蹲っていたが、全然寒くない。手足も冷たくならない。下は2枚、上は3枚しか着てないのにである。実はその薄着こそが冷えの原因となる汗を抑えたのである。ふと近くの枝を照らすと赤テープがあり、その先を見ると眼下に赤テープが続いていた。灌木を手掛かりに凍り付いた岩場を3m程下ると踏み跡が続いていた。しばらく痩せ尾根は続きやっとのことで鞍部からの登り返しとなると、今度は大岩が尾根筋を塞ぎだした。最初の大岩は西側から巻き上げ、2つ目と3つ目は東側の雪を使って巻き上げた。そして次第に尾根が広くなると三岩山山頂である。すかいさん製の山名板が下がっていた。鍋クウシ山から2時間40分。 阿能川岳へは広い稜線の緩やかな尾根筋で、今までとは一変しまるで高速道路のようである。それでも風は収まるどころか一段と強さを増し、耐風姿勢をとる間隔が狭くなってくる。それでもどうにか阿能川岳への分岐まで来たが、ここで一旦高度を下げるため北東方向には雪庇が作られ、絶え間なく続く地吹雪でホワイトアウトの様相である。暫しウロウロするが、どうしても雪庇を下れるとは思えず、ましてや登り返しは余計に大変だと判断してここで撤退を決めた。まだ夜明け前の5時56分だった。次第に白みだす中を戻るのだが、トレースは消えGPSの軌跡だけを頼りに下った。明るくなって見えてくる痩せ尾根や雪庇の様相に、馬鹿さ加減に呆れながらの下山となった。11時5分クルマに戻り、12時間近くに及ぶ山行に終止符を打った。余りの悪条件の中でカメラを取り出す余裕はなかったので写真が少ない。 |
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14 | 59 | 鍋クウシ山 | 1314 | 水上 | みなかみ町 | 7K4NXB | 430 | FM | |||||
15 | 60 | 三岩山 | 1568 | 水上 | みなかみ町 | 7N2XYS | 430 | FM | |||||
16 | 61 | 28日 | 木 | 赤沢山 | 1328 | 水上 | みなかみ町 | JH1AKZ | 430 | FM | 赤沢山(1328m、水上)へはこの時期に西側の尾根筋から登ってる記録を散見する。それらに倣い土合橋手前の白毛門登山口の駐車場に向かうが、まだ雪のため入れず入り口にクルマを置いた。足元は例によってスパ長、背中にはワカンを背負った。駐車場を行くと尾根筋に向かうトレースを見つけ、その後を追うように登った。トレースは谷間の雪渓に続いていたが、腐り始めた雪に踏み抜くことも多く途中から尾根筋に移った。急斜面が続いており、さらにあすなろの幼木が所どころに繁茂してるので左右に避けながら登った。登山口から1時間20分で500mの高度を上げ、平坦な尾根にとなった。途端に視界が開け、切れ落ちた南斜面側には雪庇が続き、後方に目をやると天神平〜谷川岳の絶景となっていた。暫くは雪庇と尾根筋を行き来しながら歩きやすいところを選んで行くと、ブナの雪原となる。途中からワカンを履いたので踏み抜きもなく軽快な歩きとなり、再び尾根筋が細くなりだすとやや勾配を増しドーム型の山頂となった。東側は雪庇が張り出し、その下は切れ落ちているので遮るものは何もなく絶景が広がっていた。北東方向には至仏山、東には武尊山、南東部には遠く赤城山が見えている。下りは往路を忠実に辿りピストンしたが、谷間の雪渓のところは走るように降りた。登り2時間14分、下り1時間13分。 | ||
17 | 62 | 31日 | 日 | 幕掛山 | 1410 | 藤原湖 | みなかみ町 | 7N2XYS | 430 | FM | 幕掛山(1410m、藤原湖)はネットで調べても記録は少ない。無雪期の記録では結構な藪山とのことだし、残雪期も条件次第ではかなりきつそうに思えた。古道の標識を入ると直ぐに雪道となり、ほどなく木柵が古道を塞ぐように置かれていた。車止めのつもりなのだろうか、それにしては通れるほど道幅はないし。古道は先に続いていたが、どうも986Pの西側に向かってるようだったので、右前方の明瞭な尾根筋に上がることにした。残雪の急斜面だが北斜面で雪が締まっているので難なく尾根筋となった。雑木と僅かな灌木の茂る尾根筋に雪はなく、次第に勾配を増し一気に250m余りを上げるがストレスはない。986Pと1050級Pの暗部付近に乗ると再び雪が現れツボ足となる。この辺りから雨混じりの靄がかかってきたので先が見えなくなり、GPSとニラメッコとなった。1050級Pは南側に巻いて南東鞍部まで水平移動し再び尾根筋に乗ったが、次の尾根筋への取り付きで苦労した。雨具を着込み、ワカンを履いたまではよかったが、勾配がきつい上に雪が腐っており中々ステップを確保できず難儀した。それでもどうにか急斜面をクリアすると、いよいよ雨は雪に変わり、靄は霧氷となって枝を凍らせ始めていた。この先は灌木藪、アスナロの幼木藪、一部急勾配な登りとあったものの総じて残雪を繋いでの尾根歩きとなった。登りついた山頂には目印らしきものはテープしか見当たらなかった。GPSは間違いなく山頂を示しているし、どうせ三角点標柱は雪の下だろうと、寒さの中で儀式を済ませ下山に取り掛かった。登り2時間58分、下り1時間24分。 |
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No. | 山ラン | 登山日 | 曜日 | 山名 | 標高 | 地図名 | 移動地 | 交信局 | 周波数 | 型式 | 名山関係 | コメント | |
1 | 18 | 2月 | 3日 | 日 | 都幾山 | 463 | 安戸 | ときがわ町 | JP1AEG | 430 | FM | 都幾山(463m、安戸)は慈光寺の駐車場から観音堂の拝観順路を上がる。観音堂左手の踏み跡に入ると都幾山への案内が現れ、安心しペースを上げスギ山の中を登った。勾配が増すとほどなく山頂となったが、杉木立の中で視界はない。山名板が一枚下がるだけだった。往復25分。 | |
2 | 19 | 堂山 | 250 | 武蔵小川 | ときがわ町 | 7K4NXB | 430 | FM | 堂山(250m、武蔵小川)は南東尾根筋に配水場があり車道が伸びている。残念ながら車止めがあり手前から車道を歩き、配水場横から登山道に入った。登り付いた山頂はこの先の雷電山への通過点のようなところだ。往復23分。 | ||||
3 | 20 | 物見山 | 286 | 武蔵小川 | 小川町 | JH1NFY | 430 | FM | 物見山(286m、武蔵小川)へは林道・割谷線が山頂尾根筋まで伸びているが、基点から直ぐのところでゲートで閉鎖されていた。林道をひたすら歩くと25分ほどで終点となり峠となる。まずは遠い方の物見山に向かうが、この辺りはMTBの乗り入れが多いようで2組と出会った。MTBでも登れるようなコースなので勾配は緩くあっという間に平坦な山頂となる。山名板があったのでそれと気付くような山頂だ。 大日山(253m、武蔵小川)へは林道終点である峠まで戻り、西方向に少しだけ行けば山頂となった。ここも通過点のような小さなピークで展望もない。峠から林道を辿り、1時間24分で周回した。 |
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4 | 21 | 大日山 | 253 | 武蔵小川 | 小川町 | JQ1BXQ | 430 | FM | |||||
5 | 22 | 寒沢山 | 180 | 武蔵小川 | 嵐山町 | 7N2XYS | 430 | FM | 寒沢山(180m、武蔵小川)は地形図を見ると西側から尾根筋に続く破線があるので、その起点めざし車道を行き石材店の作業場先でクルマを置いた。シイタケの榾木が並ぶ作業道を行くと一帯は榾木だらけとなる。ほどなく通過すると勾配は急に増し、息を切らし直登すると最高点となる。座標的には間違いないはずだが、なんら表示物は見当たらない。北にはしっかりしたピークも見えるが高度が合わない。儀式を終えて下山した。往復20分。 | ||||
6 | 23 | 正山 | 165 | 武蔵小川 | 嵐山町 | 7K3AOH | 430 | FM | 正山(165m、武蔵小川)は東から伸びる破線があるが、車道に近い日向地区から取り付いた。最奥の民家の横から山に入ると、雑木林は灌木の伐採直後で切り株や枝が転がり歩きづらい。それでも高みを選んで進むと車道と出会った。なんと山頂まで続いていたので破線に一致する位置に車道があるらしい。三角点の周囲だけが刈り払われしっかりした山名板が立っていた。往復16分。 | ||||
7 | 24 | 官ノ倉山 | 344 | 安戸 | 小川町 | JA1WQZ | 430 | FM | 官ノ倉山(344m、安戸)の登山道は外秩父七峰縦走ハイキングコースの前半部分となっている。天王池手前にクルマを置き歩き始めた。時間は15時を過ぎているので急ぎ足で歩いた。少し勾配を増し九十九となるとほどなく峠となる。ここでハイキングコースと別れ尾根筋の急登を上がると、360度の好展望の広がる山頂となった。登山口より22分。 石尊山(340m、安戸)は官ノ倉山の南東に位置しており、鞍部まで40mほど下り登り返すと山頂となる。ここにも行政の案内標柱はあるが山名を記したものは見当たらなかった。戻りは往路を辿り、54分で往復した。 |
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8 | 25 | 石尊山 | 340 | 安戸 | 小川町 | JE1DLC | 430 | FM | |||||
9 | 26 | 大立山 | 113 | 武蔵小川 | 滑川町 | JR1DDL | 430 | FM | 大立山(113m、武蔵小川)はおおむらさきGCの中にある。山の南西部にある両頭庵沼はゴルフ場の調整池?なのだろう、フェンスが巡り施錠されていた。その右手を見るとフェンスに沿って山道がある。行ってみると墓地があり、その先は雑木林でOBの白杭越しにコースが見え、その後方に山頂があった。 | ||||
10 | 27 | 高根山 | 105 | 三ヶ尻 | 熊谷市 | JL1FDI | 430 | FM | 高根山(105m、三ヶ尻)もゴルフコースの一角にあるが、ここへはコース内に入らずに行ける。西側の車道を適当に走り、取り付きやすそうなところから藪に入った。18時を過ぎており手持ちライトでの歩きだが、直ぐにコンクリートの廃道となり一登りで石祠のある山頂となった。 | ||||
11 | 28 | 10日 | 日 | 深沢山 | 350 | 飯能 | 飯能市 | JI3NXK | 430 | FM | 深沢山(350m、飯能)は別名・コワタと呼ばれている。取り付きは南の鉄塔巡視路からで、愛宕山、水晶山と尾根筋を登るのだが、愛宕山の登りは結構きつい。あとは山頂直下で勾配が増す程度だ。山頂で嬉しい出会いがあった。と言うのは山ランのレジェンド・小川(JI3NXK)さんが関西から遠征され、ちょうど陣場山からオンエアされていたのだ。もちろんお声掛けし大興奮の初コンタクトとなった。下山は愛宕山手前の鞍部から林道に下りショートカットした。登り43分、下り23分。 | ||
12 | 29 | 天覚山 | 445 | 飯能 | f飯能市 | 7K4NXB | 430 | FM | 天覚山(445m、飯能)とカマド山、屋船山は周回した。東吾野駅近くから南下する林道を行くと峠となり、少し下ると登山口となる。沢沿いに登ると送電鉄塔となり尾根筋となる。小ピークを2つ越え最後の急勾配を登りきると山頂となる。南側に絶景が広がっていた。往復32分。 | ||||
13 | 30 | カマド山 | 293 | 飯能 | 飯能市 | JA1JCA | 430 | FM | カマド山(293m、飯能)へは峠に戻ると反対側の尾根筋に取り付いた。この辺りはトレッキングのメッカで沢山の登山者と出会った。この尾根筋はアップダウンの連続で平坦部がほとんどない。尾根筋から分岐すると下り勾配となり急傾斜を登り返すと山頂となった。峠から44分。屋船山(277m、飯能)へ向かうが、カマド山からの戻りは登り勾配なので太ももが悲鳴をあげだした。尾根筋から屋船山へ分岐すると、ここも下り勾配で最後に登り返して山頂となった。ガムテープの山名表示が立ち木に巻かれていた。言うまでもなく登り勾配の下山は半端なくきつかった。分岐から往復37分。 | ||||
14 | 31 | 屋船山 | 277 | 飯能 | f飯能市 | JH1DZS | 430 | FM | |||||
15 | 32 | 大高山 | 493 | 原市場 | 飯能市 | JI1EOM | 430 | FM | 大高山(493m、飯能)は西側の林道から取り付くと直ぐに尾根筋となる。途中で岩尾根となり次第に勾配を増すとあっけなく山頂となったが、外国人女性ハイカー二人が占領しており早々に退散した。ピストンで下山した。往復38分。 | ||||
16 | 33 | 堂平山 | 520 | 原市場 | f飯能市 | JG1LZY | 430 | FM | 堂平山(520m、飯能)は東側の栃屋谷集落から入る林道に取り付いた。林道はほどなく倒木の連続となり廃道化していた。林道終点からは倒木を乗り越え急斜面に取り付いた。間伐材が転がる中、青息吐息で登り上げた山頂は植林地の中で小さな山名板が括り付けられていた。しっかりした踏み跡があり南西尾根筋を辿るのが順路だろう。往復58分。 | ||||
17 | 34 | 大高谷山 | 325 | 飯能 | 飯能市 | JE1DLC | 430 | FM | 大高谷山(325m、飯能)へはゴルフ場境を北東部から取り付き、谷間を直登した。途中から勾配を避け尾根筋に上がると直ぐに山頂となった。道筋にはQZWの赤リボンが数本下がっていた。往復26分。 | ||||
18 | 35 | 柏木山 | 303 | 飯能 | f飯能市 | JF1ULY | 430 | FM | 柏木山(303m、飯能)へ林道を行くと分岐となり右手はゲートで閉じられていた。直進すると気象庁津波地震検知網の施設がありその横の踏み跡に入った。急斜面を登り尾根筋へ上がるとゴルフ場のフェンス沿いとなる。登り上げた山頂は南東面が伐採され素晴らしい展望が拡がっていた。往復16分。 | ||||
19 | 36 | 11日 | 月 | 本陣山 | 442 | 正丸峠 | 飯能市 | 7K4NXB | 430 | FM | 本陣山(442m、正丸峠)はイモリ山、吉田山と周回することにした。西吾野駅近くからゲートで閉ざされた林道に入る。300m位進むと最初の道標が現れ伐採林の急斜面となる。ほどなく森坂峠となり尾根筋を登ると2つのテレビ受信用アンテナが続き山頂となった。山名を記した白杭が石に囲まれ木の根元に立てられていた。登山口から32分。 イモリ山(430m、原市場)へは森坂峠から緩やかに登り返すと突然壁のような急斜面が進路を塞ぐ。踏み跡は左にトラバースし東側の尾根筋へと続いていた。登り上げた山頂は岩混じりのピークで高度感がある。木立の間から登り来た本陣山がよく見える。本陣山から27分。 吉田山(445m、原市場)へは小さなアップダウンで南進し、子の権現への分岐(天寺十二丁目石)を過ぎるとやっと方向を変える。この辺りはいくつかの登山道が交差してるためか浅見茶屋の看板のところで吉田山への取り付きを間違えてしまった。順路に乗ってからは小床峠を経て尾根筋を丹念にたどり山頂を踏んだ。イモリ山から60分。あとは小床峠から小床集落へ下り、ほぼ3時間で周回した。 |
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20 | 37 | イモリ山 | 430 | 原市場 | f飯能市 | JA1PTK | 430 | FM | |||||
21 | 38 | 吉田山 | 445 | 原市場 | 飯能市 | JG1KGC | 430 | FM | |||||
22 | 39 | 楢抜山 | 553 | 原市場 | 飯能市 | JE1SHW | 430 | FM | 楢抜山(553m、原市場)へは仁田山峠から切通しに取り付いた。尾根筋にはしっかりとした踏み跡が続き最初は軽快だったが、岩稜の急勾配を登りきるが、なんとその先は急な下りだった。鞍部まで50m余りを下げやっとのことで登り返すと山頂だった。三角点標石と小さな山名板が立ち木に留められていた。往復47分。 | ||||
23 | 40 | 論地山 | 340 | 原市場 | f飯能市 | JG1VNL | 430 | FM | 論地山(340m、原市場)へは久林地区にある飯能市指定の観音菩薩像のある観音堂から取り付いた。距離はないがその分勾配はきつく、手前ピークにある社から一旦鞍部に下るがその先は青息吐息の急勾配となった。登り付いた山中は植林の中で、黄リボンが唯一下がるだけだった。往復30分。 | ||||
24 | 41 | 17日 | 日 | 板沢山 | 1147 | 後閑 | みなかみ町 | 7N2XYS | 430 | FM | 板沢山(1147m、後閑)へは石神峠から取り付いて高檜山まで冬季に往復した記録がいくつかあるのであわよくばとスタートした。しかしその計画は取り付いて直ぐに消えた。今朝方まで降っていた新雪のため、スノーシューを履いていても膝下近くまで沈み込んでしまう。それでも傾斜がなだらかならどうにかなるが、勾配を増すと膝上まで雪が覆いかぶさり足が上がらない。途中で何度も引き返そうと思ったが、天気が良く時間的にも余裕があったので、せめて板沢山まで頑張ろうと叱咤しながら歩いた。歩き出して3時間、ようやく山頂かと思いきや、眼前に雪庇の壁がせり出し行く手を塞いでいるではないか。しばし呆然と立ち尽くすが、どうにか打開策はないかと雪庇を入念に見渡すと左手奥で途切れているように見えた。恐るおそる雪庇の下をトラバースすると、案の定50mほど先で雪庇は途切れており、どうにか尾根筋に這い上がることが出来た。あとは雪庇の上を戻るように登るとあっけなく山頂となった。三角点標柱と3枚の山名板が下がっていた。山頂を少し行くと好展望地があるようだが雪が吹っかけており何も見えなかった。 | ||
25 | 42 | 24日 | 日 | 周助山 | 383 | 原市場 | 飯能市 | 7K4NXB | 430 | FM | 周助山(383m、原市場)へは南東尾根の突端からとしたが、どこにも案内板などは見当たらず墓地のところから取り付いた。暫く急登を行くと尾根筋へトラバースする踏み跡となった。あとは忠実に尾根上を辿るだけだったが、山頂手前は急勾配で足元が滑り登りづらい。登り付いた山頂は植林地の中で展望はない。しっかりした山名板が建っていた。 ノボット(436m、原市場)へはほぼ平坦な尾根筋を辿るだけで、最後に少し勾配を増すと山頂となった。ここも周助山同様植林地の中で展望はない。三角点標柱と山名板が建っていた。漢字表記での登戸がノボット語源であるようだ。往復1時間26分。 |
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26 | 43 | ノボット | 436 | 原市場 | 飯能市 | JG1FSZ | 430 | FM | |||||
27 | 44 | 28日 | 木 | 高野山 | 1112 | 四万 | 中之条町 | JJ1SLH | 430 | FM | 高野山(1112m、四万)には東側にある登山口の案内から取り付いた。今年は雪が多いとのことでスノーシューは必須かと思っていたが、見上げると斜面には地肌が目立つのでスパ長に変更した。もちろん念のためにスノーシューは背負っている。最初は植林地の中なので積雪はほとんどなく、柱が外され屋根だけとなった東屋が横たわる尾根筋になっても大した雪はない。快適尾根の様相で多少の勾配はあるが順調に登った。950の等高線で広尾根となると積雪が増しツボ足だと潜るのでスノーシューに履き替えた。気温が高く雪は腐りかけ、1000手前で急勾配となったのでスノーシューをデポしツボ足に切り替えた。ズルズル雪で足場が定まらず悪戦苦闘の連続となり、100mばかりの急斜面を尾根筋に這い上がった。尾根上の積雪は深いところで50cm程度で、膝まで沈むが勾配は緩くすんなり山頂となった。気にまかれたテープが2本だけで山名板は見当たらなかった。たぶん雪の下に落ちているのだろう。下りでは2度3度と滑り落ちたが、いづれもしっかりと制動できたので怖さは感じなかった。登り1時間45分、下り53分。 | ||
28 | 45 | 長見山 | 571 | 上野中山 | 中之条町 | JA1KGP | 430 | FM | 長見山(571m、上野中山)は山頂まで林道が入り込んでいた。とはいっても廃道化しており、途中には密藪の箇所もあり歩きで正解である。高低差もほとんどなくあっという間に山頂となった。ここには山名坂が2枚下がっていた。往復17分。 |
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No. | 山ラン | 登山日 | 曜日 | 山名 | 標高 | 地図名 | 移動地 | 交信局 | 周波数 | 型式 | 名山関係 | コメント | |
1 | 1 | 1月 | 6日 | 日 | 吾嬬山 | 1181 | 群馬原町 | 中之条町 | 7K4NXB | 430 | FM | 吾嬬山(1182m、群馬原町)は東吾妻町と中之条町の町境にあり、南側の東吾妻町が一般的であるようだ。地形図を眺めていると北側の中之条町からも林道が伸び、下山後は有笠山に登る予定なので中之条町側から取り付くことにした。吾嬬地区から林道を行くと分岐となり、峠の林道方向はゲートで閉ざされていた。分岐右側には吾嬬山登山口の案内板があり、林道を行くとほどなく左斜面をあがる登山道となった。5cm程度の雪の上にはトレースが残っていて迷うことはない。50分ほどで吾嬬神社奥の院と表示された石祠となり、急こう配となった斜面を左にトラバースすると町境の尾根筋となる。あとは一登りで山頂となった。登山口から1時間6分。 薬師岳(974m、群馬原町)は吾嬬山の南東に位置し、町境の尾根筋を辿ることになる。峠の林道に向かって一気に下り始めると、突然ガサガサと足音が響いた。一瞬身構えると前方に現れたのはニホンカモシカで、暫しのニラメッコとなったw ほどなく林道となり、軽いアップダウンが続く尾根筋となる。ちょうど中程で急登となると右側に巻き道の分岐となった。ここで巻き道に入ったのが選択ミスで結局大回りをすることになった。その後尾根筋に復帰し、緩やかな登り勾配を行くと石祠の建つ薬師岳となった。下りは峠の林道までピストンし吾嬬林道をゲートまで戻った。吾嬬山から薬師岳まで1時間、薬師岳から林道ゲートまで55分。計3時間40分で周回。 |
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2 | 2 | 薬師岳 | 974 | 群馬原町 | 中之条町 | 7N2XYS | 430 | FM | |||||
3 | 3 | 有笠山 | 873 | 小雨 | 中之条町 | JG1SEV | 430 | FM | ぐんま百 | 有笠山(873m、小雨)には東西に箇所の登山口があるが、この時期は東側の方が雪は少ないだろうと東登山口から取り付いた。切り立った岩稜が特徴的な山で、谷あいの登山道は直ぐに大岩の前となり左側に巻き上げるように続いていた。ところが右手前方に再びニホンカモシカを見つけ、彼らを追いしばし登山道を離れた。登山道へ復帰し、巻き上げるように登ると、クライミング練習用の岩場の前方を通り過ぎると尾根筋となり西登山口からの登山道と合流する。ここからは核心部の急傾斜地となり、鎖と梯子を頼りに一気に抜け、ピーク下の岩場を東側へトラバースし尾根筋に乗ると一登りで岩稜ピークとなった。ここから小さな鞍部を西へ少しばかり行くと山名板の立つ山頂となった。地形図では873mとなっているが山名板には888mと記されていた。下りはピストンした。登り50分、下り22分。 | |||
4 | 4 | 嵩山 | 789 | 中之条 | 東吾妻町 | 7M1PGX | 430 | FM | ぐんま百 | 嵩山(789m、中之条)は中之条町のシンボル的な山で、南側にある「道の駅・霊山たけやま」から登山道が作られている。そのうち一番最短と思われる東登山口より取り付いた。この山には三十三観音が至る所に祀られ、その観音を巡るための道がいくつも交差している。ということであっちこっち行ったり来たりする内に、16番観音へ続くクサリの下がる岩場を経由して尾根筋へ登りついた。ここからは尾根筋を辿り、クサリの連続する岩稜を登ると嵩山(大天狗)となった。山頂に鎮座する大岩の上には小さな石祠が祀られ、そこは360度の絶景ポイントだった。高度感と展望に大満足しピストンで下山した。登り45分、下り29分。写真左は道の駅から見た嵩山、中央は山頂の大天狗 | |||
5 | 5 | 14日 | 日 | 蟻川岳 | 853 | 中之条 | 東吾妻町 | 7K4NXB | 430 | FM | 蟻川岳(853m、中之条)登山口への車道は急勾配と積雪のため手前に停めた。本格的な降りとなる中、スパ長で歩き始めると2,3分で登山口となる。直ぐに電気柵となり抜けると緩やかな登りとなる。雪と落ち葉で滑りやすく勾配が増してくると一歩一歩ステップを確認しながらの登りとなった。小さな石祠が見えてくると尾根筋となり、積雪はさらに増し灌木は雪の重みで垂れ下がり歩きにくい。やっとのことで尾根筋の肩に登りつくと大きな石祠が祀られていた。ここからは軽いアップダウンで山頂となった。登り1時間5分、下り33分。 | ||
6 | 6 | 岩櫃山 | 803 | 群馬原町 | 東吾妻町 | 7N2XYS | 430 | FM | ぐんま百 | 岩櫃山(803m、群馬原町)はぐんま百名山で東吾妻町のシンボル的な山で、紅葉や新緑の時期はハイカーで賑わう景勝地である。地形図を見るといくつかのルートがあるが当初の予定通り密岩通り登山口から取り付いた。尾根鞍部、天狗の架け橋、御厩(おうまや・岩穴)、矢立と要所を次々と通過していくが、クサリ場や梯子の続きスリリングな登りが続いた。最後の山頂へのアプローチは大岩に垂れ下がるクサリを手掛かりに登るのだが、そのクサリは凍てつき足元のステップも雪に埋もれ腕力頼りとなる。登り上げた頂上はクサリの防護柵に囲まれた狭いスペースからは降り続く雪で何一つ見えなかった。長居は無用と無線の儀式を終え早々に降り始めたが、クサリ場の降下は登り以上に緊張の連続となった。登り1時間4分、下り47分。 | |||
7 | 7 | 観音山 | 597 | 群馬原町 | 東吾妻町 | JM1LRQ | 430 | FM | 観音山(597m、群馬原町)は滝峩山(りゅうがやま)という別名があり、登り口は観音山不動堂前にある登山口からとなる。この山はあちらこちらに洞穴・奇岩がありそれぞれ名前が付けられている。胎内窟、金堀窟を過ぎ象ヶ鼻から左分岐(直進は通行止めとのこと)へ行くと尾根筋に上がる。ほどなく大岩となり左側(順路は右)から巻き上げ鞍部を過ぎるとほどなく石祠、行政山名標柱の建つ観音山となる。しかし標高は530mとあり、目指す597m峰はまだ直線で400m以上も先である。ところがこの先にはほとんど踏み跡はなく、あったとしても雪の下で皆目見当がつかない。地形図を見ると尾根筋も広いが大した登り勾配もなくGPSを頼りにピークを目指した。やがて左手に鉄塔が見え出すと尾根筋は北東へ向かいその先に観音山のピークが現れた。山頂部は伐採され、すかいさん製の滝峩山と刻まれた山名板と石像、雪面から僅かに顔を出している三角点標石がそれを表わしていた。下山時に先を急ぐあまり少しばかり遠回りをしてしまった。登り1時間2分、下り44分。 | ||||
8 | 8 | 24日 | 木 | 烏岳 | 247 | 越生 | 毛呂山町 | 7K4NXB | 430 | FM | 烏岳(247m、越生)は地元では石尊山と呼ばれており、階段状に続く病院棟を中を縫うように進むと職員用住宅の駐車場となる。辺りを見回すと配水施設の前に石尊山への案内標柱を見つけた。登山道は病院の横に伸び、緩やかな勾配で続いていた。ところどころには案内の標柱が建ちよく整備されていた。山頂手前の急坂ではクサリ製の手摺も付けられていた。山頂には石塔が建っていたが三角点はフェンスで囲われたゴルフ場内にあった。往復20分。 | ||
9 | 9 | 竜ヶ谷山 | 203 | 越生 | 毛呂山町 | JA1LUT | 430 | FM | 竜ヶ谷山(203m、越生)は鶴ヶ島GCのコース内にあるが、山頂には雷電神社があり町道が続いている。とはいえコース内を走ることになるのでフェンス前に駐車し、コース内の登山道を歩くことにした。コンクリートのステップが刻まれた参道を行くと雷電神社の鳥居となり、神楽殿を左手に見ながら行くと山頂の社となった。山名表示は見当たらなかった。往復15分。 | ||||
10 | 10 | 午頭山 | 312 | 越生 | 毛呂山町 | JH9MFL | 430 | FM | 午頭山(312m、越生)も鶴ヶ島GCの中にあり、クラブハウス前から管理道路の方へ進むとコース管理の従業員と出会った。事情を話し午頭山へ登りたいと話すと、コース管理事務所前までの道を教えられた。管理事務所に行くと山はすぐ裏手にあり、左手の産廃ゴミ捨て場の横の雑木林に踏み入った。灌木藪の中をフェンス沿いに登り、フェンスの切れ目から山頂に向かった。ほどなくピークらしきところに着くと赤と黄色のテープが下がり、近くの幹に小さな山名板が括り付けられていた。往復10分。 | ||||
11 | 11 | 鼻曲山 | 440 | 越生 | 毛呂山町 | JA1BVY | 430 | FM | 鼻曲山(440m、越生)と愛宕山は南側の一本杉峠から辿った。登山口と山頂の高度差は無く、尾根筋のアップダウンを何度か繰り返すと鼻曲山の山頂らしきところに着いた。しかし山名を表示するものは見当たらず、帰宅後に確認したところ山頂には手製の山名板が下がっているとのことだったので僅かに手前をピークと間違えたようだ。 愛宕山(394m、越生)へは一度カイ立場まで戻り進路を東に変え、伐採地を過ぎると山頂への分岐となる。少しばかりの勾配をあがると愛宕山山頂となり、こちらには山名板が下がっていた。あとは往路を辿りクルマへ戻った。1時間12分で周回す。 |
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12 | 12 | 愛宕山 | 394 | 越生 | 毛呂山町 | 7N2XYS | 430 | FM | |||||
13 | 13 | 31日 | 木 | 大平山 | 530 | 正丸峠 | 越生町 | JE1HRF | 430 | FM | 大平山(530m、正丸峠)は黒山三滝から武蔵おごせハイキングコースを傘杉峠に向けて歩き出した。ここでミスルートをしてしまった。大平山への分岐手前で踏み跡に誘われ手前の枝尾根に取り付いてしまったのだ。途中で気付いたが戻るのも面倒でそのまま急登を上がった。尾根筋で出合った登山道は勾配が増すと九十九となり、ほどなく大平山の役の行者像が見えてきた。最高点はこの奥だったが黄色いテープが一本下がるだけで山名板は見当たらなかった。登り40分、下り22分。 | ||
14 | 14 | 城山 | 286 | 越生 | 越生町 | 7K4NXB | 430 | FM | 城山(286m、越生)は北を通る林道から送電鉄塔の巡視路を上がることにした。巡視路入口の先では鉄塔関連の工事中で索道が作られていた。この索道工事のため巡視路は良く踏まれているようで、傾斜はきついが歩きやすい。10分余りで鉄塔の建つ山頂となり、その足元には三角点標柱がコンクリートの箱に埋められていた。往復20分。 | ||||
15 | 15 | 雨乞山 | 340 | 越生 | 越生町 | JA1JCA | 430 | FM | 雨乞山(340m、越生)から林道楠線を北上すると上谷の大クスとなる。通り過ぎ、林道の峠となると右手に小高いピークが確認できた。地形図で確認するとこれが雨乞山のようで、低い擁壁を乗り越え植林地に踏み入れた。マーキングは無いが、緩い尾根筋には踏み跡が続きほどなく山頂となった。小さな山名板が下がっていた。往復15分。 | ||||
16 | 16 | 大築山 | 466 | 正丸峠 | ときがわ町 | JK1DIT | 430 | FM | 大築山(466m、正丸峠)へはときがわ町の椚平地区から取り付いた。猿岩峠まではトラバース路で緩やかな登りが続いた。尾根筋へ乗っても相変わらず勾配は緩く、途中にある見晴台からの展望は素晴らしく椚平集落が一望できる。少しばかり勾配を増すと山頂となり、木立の間からはときがわ町の展望が開けていた。山頂には大築城跡の案内板が建っているだけだった。往復33分。 | ||||
17 | 17 | 新柵山 | 490 | 正丸峠 | ときがわ町 | JH1ODD | 430 | FM | 新棚山(490m、正丸峠)へはそのまま椚平集落の日向根へ向かい、尾根切通しまでクルマで上がり取り付いた。直ぐに個人の墓地となりその横を抜け尾根筋を進むと大野峠となった。ここからはほぼ尾根筋を水平移動するように進み、最後に一登りすると新柵山山頂となった。赤ペンキの塗られた三角点標柱と文字の薄れて山名板が括り付けられていた。往復39分。 |
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